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飯田 哲也(いいだ てつや、 1968年5月18日 - )は、東京都調布市出身の元プロ野球選手(外野手、内野手、捕手)・野球指導者。2015年からは、福岡ソフトバンクホークスの一軍外野守備走塁コーチを務める。 == 経歴 == === プロ入り前 === 小学校低学年のころから野球をして遊び、後楽園球場で見た王貞治や張本勲のプレーに感動してプロ野球選手になる事を決意した〔週刊ベースボール、2003年5月5日号、P.56〕。小学校4年生の時に上の原メンパースに入団し、投手として本格的に野球を始めた。調布市立神代中学校でも投手をつとめ、3年時には市大会で優勝している〔。都内の強豪である日大三高や帝京高校への進学も目指したが、中学の野球部顧問と小枝守監督が日大の同級生だった縁もあり、設備や環境に惹かれて千葉県の拓大紅陵高校に入学〔。 拓大紅陵では同級生に佐藤幸彦、2学年先輩に小川博文がいて、学校も野球部の強化に注力していた。入学後は外野手となり、さらに2年になると50m6秒1の俊足と遠投100m以上の強肩という身体能力に注目して捕手にコンバートされた〔。の3年次には春夏続けて甲子園に出場。第58回選抜高等学校野球大会では本塁打を放ち、守備でも1イニングで3補殺を記録する〔週刊ベースボール、1990年6月4日号、P.133〕など5番・捕手として活躍している。千葉大会決勝では後にヤクルトの同期となる土橋勝征を擁する印旛高校を破り、第68回全国高等学校野球選手権大会では優勝候補に挙げられる〔も、3回戦で長谷川滋利を擁する東洋大姫路に0-1で敗れた。 同学年の捕手の中では、鷹巣農林高校の中嶋聡や西日本短大付属高校の青柳進と並んで飯田はドラフト指名候補として注目を集めていた〔。同年のドラフトでヤクルトは中嶋の指名を予定していたが、阪急が3位で中嶋を指名したため直後に4位で飯田を指名し〔、ヤクルトへの入団が決まった。身体能力の高さと器用な点を評価していたという。契約金は2,800万円、年俸は320万円(金額はいずれも推定)だった〔読売新聞、1986年12月2日付朝刊、P.17〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「飯田哲也 (野球)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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